AIが"体"を持つとき、私たちの仕事はどうなるか
先日、中国で「ロボット運動会」が開催されました。ヒューマノイド(人型ロボット)が徒競走で世界記録級のタイムを出したり、サッカーのPKを決めたりする大会で、ニュースでは「実用化に向けて開発が進んでいる」と伝えていました。
この映像を見て、率直に進歩を実感しました。そこで今回は、最近ニュースなどで耳にする機会が増えてきた フィジカルAI(体を持ったAI)について、私見での考察をまとめてみます。
ちなみに、身近な例で言えば——あのドラえもんも、広い意味ではフィジカルAIの一種と言えるかもしれません。自分で考えて動き、感情まで持った"体を持ったAI"。言われてみれば、究極のフィジカルAIです(もちろん、あそこまでの実現はずっと先の話ですが)。実際、ドラえもんをAIになぞらえた記事もあって、なかなか面白い視点でした。
これまでAIといえば、文章を書いたり、調べ物をしたりと、あくまで"画面の中"の話でした。それが今は、機械が体を持って現実世界で動きはじめています。
(ガストなどでおなじみ)
体を持ったロボット自体は、すでに身近にあります。すかいらーく系列(ガストなど)の配膳ロボットを見たことがある人も多いかと思います。障害物や人を検知して迂回はしますが、基本は決められたルートを料理まで運ぶのが中心で、"自分で判断して動く"段階にはまだありません。運動会のロボットが見せているのは、その"体"の性能が一段上がってきた、という変化です。
先に前提を一つ書いておきます。"頭脳"にあたるAI(文章を扱うChatGPTのようなAI)と、"体"にあたるロボットは、今それぞれ急速に進歩しています。まだこれからなのは、その二つを組み合わせる部分です。賢いAIがロボットの体を自在に動かし、"自分で考えて動く"ようになるには、もう一段の進歩が要ります。運動会で決められたコースを走るのと、散らかった現場で臨機応変に働くのとでは、話が違います。本稿は「もう実現した」という話ではなく、知と体それぞれの進歩を見て、来たるべき組み合わせを早めに考えてみる、という趣旨です。
以前(8/12)に「AIに頼りすぎると"考える力"が鈍るのでは?」という頭脳労働の話を書きました。今回は"体を動かす仕事"の話で、テーマとしては別物です。ただ、"AIと人間で仕事をどう分けるか"という点ではつながっています。AIの対象が、頭を使う仕事だけでなく、体を動かす仕事にも広がろうとしている。そのとき私たちの「働く」はどうなるのかを考えます。
これまでの「AIの話」は、画面の中の話だった
ここ数年の「AIで仕事が変わる」という話題は、ほとんどがデスクワークの話でした。資料をつくる、メールを下書きする、議事録をまとめる。どれもパソコンの前で完結する仕事です。
一方で、「体を動かす現場の仕事」は、どこか"AIとは別の世界"のように語られてきました。モノを運ぶ、組み立てる、人の世話をする。そういう仕事は、当分は人間の領域だろう、と。
ただ、その"別の世界"との境目は、少しずつ動きはじめているのかもしれません。運動会はお披露目の場ですが、そこで培われた「歩く・つかむ・バランスを取る」技術は、いずれ現場に応用されていきます。
「仕事を奪われる」で止まると、話を見誤る
こういう話をすると、すぐに「じゃあ人間の仕事は奪われるのか」という問いになりがちです。
ただ、そこで止まると話を見誤ります。過去を振り返ると、新しい道具は、仕事を"丸ごと消す"よりも、仕事の"中身を組み替える"かたちで広がってきました。
たとえば表計算ソフトが登場したとき、「経理の仕事がなくなる」と言われました。実際には、電卓を叩いて集計する時間は減った一方で、「その数字をどう読むか」「どこにお金を使うべきか」を考える仕事の比重が増えました。手を動かす部分が道具に移り、頭を使う部分が人間に残った、という形です。
フィジカルAIも同じ道をたどると考えられます。「人間 対 ロボット」でどちらかがゼロになるのではなく、一つの仕事の中で担当が組み替わっていく。だとすれば、考えるべき問いはこうなります。
体を動かす部分がAIに移っていったとき、人間に残るのは何か。
体を動かす部分が移ると、人間に残るのは何か
人間に残る、あるいは重みを増していくのは、次の3つだと考えられます。
- 判断 … マニュアルにない状況で「この場合はどうするか」を決めること
- 関係性 … 人が人に向き合い、信頼や安心を生むこと
- 意味づけ … 「何のためにこれをやるのか」を考え、伝えること
ロボットは、決められた動作を正確に・疲れずにこなすのは得意です。一方で、「今日のこの人には、いつもと違う対応がいる」と気づいたり、相手の不安に配慮したりするのは、今のところ人間の領域です。
つまりフィジカルAIが進んでも、人間が"不要"になるわけではなく、人間の役割の"重心"が動く、と整理できます。
介護の現場で考えてみる
もう少し具体的に考えます。私たちシステムチームが所属する事業では、医療・介護の分野の求人を扱っています。介護は深刻な人手不足が続く現場です。
ここにフィジカルAIが入ってくるとしたら、まず担うのはおそらく「体力勝負の部分」です。ベッドからの移乗の補助、重い荷物の運搬、夜間の見回り。腰を痛めやすく、負担の大きい作業です。ここをロボットが引き受ければ、働く人の体の負担は軽くなります。
一方で、「その人の表情を見て変化に気づく」「不安な気持ちに配慮して声をかける」といった部分は、人間が担い続ける核になります。介護の仕事の中心が、力仕事から「人と向き合うこと」へと移っていく、という見方です。
この見方に立てば、フィジカルAIは介護のような現場にとって、単なる脅威というより、"人にしかできないこと"に人手を回すための助けになり得ます。もちろん、そう単純に進むとは限りません。ただ「奪われる」と身構えるより、「どこを任せて、どこを自分たちの核として残すか」を考えるほうが建設的です。
いつ本当に動きはじめるのか
技術的に「できる」ことと、現場に「入る」ことは別の話です。実際に導入が進む引き金は、だいたい次の2つのどちらかだと考えられます。
- コストが人件費を下回ったとき — 導入費(本体+保守+設置)が、人を雇う費用より安くなれば、置き換えは進みます。ロボットは休憩なしで長時間動けるので、稼働時間で割ると、見た目の価格より早く割安になることもあります。
- そもそも人手が足りないとき — 募集しても人が集まらない現場では、"人件費より安いか"を待つまでもなく導入が進みます。介護のような領域は、こちらが先に来る可能性が高いです。
裏を返せば、この2つの条件を満たさないうちは、技術が進んでも現場はすぐには変わりません。「明日から」ではなく、「この線を越えたら」という目で見ておくのがよさそうです。
まとめ ── 「奪われる」ではなく、「重心が動く」
これはまだ仮説です。フィジカルAIが本当に現場に降りてくるまでには、安全性やルールの整備など、乗り越えるべき壁もあります。運動会で走れることと、現場で毎日働けることの間には、大きな隔たりがあります。
そのうえで整理すると、AIが体を持っても、人間の仕事はゼロにはなりません。ただ、その"重心"は動いていく。手や体を動かす部分から、判断し、人と向き合い、意味を考える部分へ、ということです。
これは8/12の記事で書いた「AIに何を任せて、何を自分でやるか」という線引きの話と、根っこは同じです。頭脳労働でも、現場の仕事でも、問われているのは結局、
自分の仕事の"人間にしかできない核"は、どこにあるのか。
という一点です。走るロボットの映像は、その問いを少し早めに考えるきっかけになりました。答えはまだ出ていませんが、今から考えておく価値はあると思います。
おまけ ── 完全に余談です
ここからは完全に筆者の趣味の話です。今回の映像を見たとき、『リアル・スティール』という映画を思い出しました。人間同士のボクシングが衰退し、ロボット同士が戦う競技が台頭した近未来を舞台にした作品で、王道の少年漫画のような熱さがあり、僕の好きな映画の一つです。
純粋に面白い作品ですが、ロボットが進歩した先の「あるかもしれない未来」として眺めると、また違った見え方がするかもしれません。既にご存じの方もいるかもしれませんが、お暇な際にぜひ観てみてください。
「私の仕事の"核"はここだと思う」「うちの現場ならこうなりそう」といった話があれば、システムチームまでお聞かせください。